お酒をやめようと思うあなたに。【禁酒・断酒・ソバーキュリアスのススメ】メリット・デメリット

僕の中の吃音① 幼少期

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僕は吃音症だ。自覚したのは、小学1年生の時だと思う。

幼稚園の時は、何も考えていなかったが、小学校に上がると、勉強をしなければいけないし、本を読まなければいけない。

そして、地獄の『音読』という、エンマ様に舌と、喉ちんこと、ちん、、、を抜かれるよりも嫌な事をしなければならなくなった。

『音読』は、国語の授業で、席順で順番に当たっていくパターンが多い。

一つずつ近づいて来る。死刑執行を待つ囚人の様だ。心臓がドクドクとなっている。鼓動が段々大きくなっていく。他の人に鼓動が聞こえるんじゃ無いかと言う位、ドックンドックンする。

漫画なら、カイジの『ざわ、、ざわ、、』と同じくらい目立つ吹き出しになっていただろう。

心臓は口から出そうだ。少し出ていたかもしれない。

また一つ『奴』は近づいて来る。やばい、、次だ、、、。

すると、次の課題になり、僕の番は来なかった。心底ホッとした。

こんな事を毎時間、繰り返していたので、『音読』になりそうな授業は大嫌いだった。

ある日、家にいる時、母と姉と僕で、本読みの練習をしようとなった。僕は嫌だったが、やらざる得ない。

まず姉が本を読む。スラスラと読む。抑揚を付けて読む。もうお手の物だ。男の子と女の子だと、女の子の方が、圧倒的に喋るのが上手く、喋り出すのも早く、大人の様に喋る。

次は僕の番だ。『つつつつ、、、、』

吃って次の言葉が出なかった。何回喋ろうとしても言葉が出なかった。その数秒間は、数分にも数時間にも感じた。

セミだったら、10回くらい輪廻転生していたかもしれない。

すると、友達が遊びに来た。

『ガーチやーまくーん、あーそーぼー!』僕は速攻飛び出した。

台風よりも早く家を出て行った。

その友達は、日曜よりの使者だ!

その時の体験は今でも覚えている。それから家で本を読まされる事は無かった。

母も気を遣っていたのだと思う。

僕は、小学校3年生までは、愛媛県に住んでいたのだが、親の転勤で小学校4年生からは神奈川県に引っ越した。

初日はとても緊張した。

まず学校から家に無事に帰れるのか?そこからだ。

実際、初日に迷子になり、1時間以上家の近くをさまよっていた。

友達がうちに遊びに来たいと言って、来てくれたのに、家がわからないから、途中で帰ってしまった、、、。

学校での初めての挨拶は、よく覚えていないが、机の周りに、物珍しさに集まる様に、何人かクラスメイトが集まって来た。何か質問されると答えるのだが、その度に笑われる。それは、言葉の違いだ。愛媛は愛媛弁だし、神奈川は標準語だ。そして、話すたびに笑われるので、話すのが少し嫌になった時期もあった。しかも当時は赤面症で、よく顔が赤くなっていたので、それでもよく笑われていた。

しかし、時間が経つにつれ、段々友達とも仲良くなって来て、標準語も喋れる様になって来た。

そうすると、変に笑われる事も少なくなり、生活しやすくなった。それでも、ちょこちょこ笑われるのは、今考えれば、吃っていたからだろう。

方言で笑われ、赤面で笑われ、吃音で笑われ、常に笑われていた様にも思う。しかし、相手が笑った時は、自分も一緒に笑っていた様に思う。自分も一緒に笑えば、何とかなる、と無意識に自己防衛をしていたのかもしれない。

でも、笑う理由が何であれ、人が笑顔になる事は、子供の頃からだ好きだった。なので、遊んでいる時などは、吃っても、それほど気にならなかった。

よくお笑い芸人が、『笑われるのでは無く、笑わせろ。』なんて言う人がいるが、笑われようが、笑わせようが、相手が笑っている事実は変わらないので、どちらでもいいのだ。ダウンタウンの松ちゃんが笑わせようが、出川哲朗や狩野英孝が笑われようが、どちらでもいいのだ。相手が笑えばそこはハッピーワールドだ。

小学校4年時、連絡網が回って来た。それは、基本生徒から生徒へ電話をする決まりになっていて、クラスメイトから電話があった。母が出たので僕に代わった。内容をメモして、次の人に電話をするのだが、嫌で嫌で仕方が無かった。

しかも、電話も今とは違いダイヤル式だったので、ダイヤルの回す指が重いの何の、、、。引越し業者が、デビ夫人の大型冷蔵庫を運ぶ時位重かった。

2回ほど途中で辞めて、3回目でやっとダイヤルを回した。

相手が出た。

『かっかっかっ、、、』

言葉が全く出てこなかった。

どのくらい時間が経っただろうか。少し経つと、母親が電話を代わってくれて、話してくれた。

電話を切って、優しい言葉をかけてくれた。何を言われたかは、ハッキリとは覚えていないが、優しい顔で、少し寂しそうな顔だった。

その日の夜は、なかなか眠れなかった、、、。

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この記事を書いた人

自己破産系シンプリストのガチ山です。
現在47歳。無職(T ^ T)

8年後の55歳でFIREします。
ちなみに『ファイアーアゴーゴー!』=
『FIRE最高!』『何てったって FIRE!』

高校中退→通信制高校→二浪→大学→ニート→フリーター→転職5回→自己破産→無職(T . T)

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